イギリスのゴルフ場と観光の魅力

ゴルフ好き・旅好きのイギリス旅行記録

ハイランド地方への旅 その3

前回に引き続き、今回もRabby‘sのハイランド旅行の続きを書きたいと思います。

インバレリーの港街とキルカーン城を見学した後、一路オーバンに向かうのだとばかり思っていたのですが・・・またしても途中停車。

そこは「St.Conan's Kirk」という小さな教会堂でした。

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場所はオー湖(Loch Awe) の北岸で前回のキルカーン城の大体向かい側に位置します。

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オー湖を見下ろすように建てられていて、こじんまりとした石の教会堂が静かな湖面にとてもマッチしていました。

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これまでのイギリス旅行でロンドンの「St.John’s Chapel」やヨークの「ヨーク・ミンスター大聖堂」といった立派な教会に訪れていたので、

「こんな田舎の小さな教会の中は大したことないのだろう・・・」

そう思いながら、ハンサムドライバーの案内について行きました。

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スコットランドの大きなカテドラルは壊されていることが多いのですが、ここはとても綺麗に保存されているな~と思ました。

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中に入ってみると、まず回廊がありました。

オークの重厚な木と石の組み合わせが、何とも素朴で素敵な空間でした。

よく見ると、屋根にも美しい柄がついています。

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そして、こんな不思議な石のアーチが・・・

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アーチの四葉のクローバーの模様がとても気に入りました(^^)

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ロートアイアンのフェンスがチューリップ柄なんて、教会堂では珍しいですよね。

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礼拝堂はこじんまりしていましたが、一つ一つが本物のアンティークのようでした。

小さいですがパイプオルガンのデザインと彫刻がとても凝っていました。

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天井の木組みの梁が特徴的で、とても印象に残りました。

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こんな不思議な天使の木彫刻・・・ほかの物もとても繊細な彫刻ばかりです。

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奥に行くと雰囲気ががらりとかわり、立派な大理石の柱とステンドグラスの窓。

柱はサークル状に配置され、重厚感あふれる木の聖餐台と椅子が静粛な気持ちにさせました。

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このヒーターはさすがに最近の物かと思いますが、周りにとてもマッチしています。

 

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テラスに出ると、アウェー湖が一望でき素晴らしい眺望でした。

外に出るとナチュラルな庭が美しく、隅々までラブリーな空間でした。

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この手すりも、とってもお洒落なデザイン・・・

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30分程度の見学でしたが、予想外に素敵な教会堂でした(^^♪

 

しかし私は、この時まだこの建物のすばらしさが十分に理解できていませんでした。

いつもの「あとから知って驚く!!(@_@)」パターン!!

今回のブログアップのためにいろいろ調べることで、この教会がいかに個性的な歴史とデザインの建築物であるかを知りました(^◇^)

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 私は旅の途中で、解説ボードを必ず写真に取っておくようにしています。

その場ではゆっくり読む暇や気力がない場合が多いので、帰ってから読み返すことで旅をもう一度楽しむのが私流です。

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今回も、これらのパネルを読んで調べているうちに「St.Conan's Kirk」の様々な魅力と驚くべき歴史を再発見しました。

ネットで調べても日本語で解説されているものはありませんでしたので、未熟ながら自分の訳をここにご紹介したいと思います。

この教会堂は1881年からウォーター・ダグラス・キャンベルによってデザインされ、建設が始まりました。

1906年から更にリノベーションされていき、今のようになったようです。

現在はスコットランド文化財(カテゴリーA)として保護されている貴重な建築物のようです。

キャンベル家はハイランド地方最大の氏族で、ウォーター・ダグラス・キャンベルは8代目キャンベルの3人目の妻の子供だったようです。

全部で9人兄弟の一番末の弟で、7人が男子・2人が女子というのですから、ダグラスのキャンベル家党首継承は程遠かったでしょう。

そういえば、前回の「ハイランド旅行 その2」で行きそこねたインバレリー城もキャンベル家の持ち物です。

現在のキャンベル伯爵の妻は、イギリス最大手のチョコレート会社の令嬢とか・・・

バレンタインデーが近いですがイギリスではチョコの売り上げはどうなのかしら?

・・・余談でしたが、ウォーター・ダグラス・キャンベルもキャンベル家の家系だということで、当時お金には苦労していなかったことが想像できます。

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ウォーター・ダグラス・キャンベルは多彩な才能を持った人物だったようです。

1870年にダルマリーからオー湖北岸を抜けて港町オーバンまでつながる鉄道が建設されました。

それまでは、この辺りは人が全く住んでいない湖畔の平原だったようです。

ウォーター・ダグラスはこの鉄道に乗ってこの土地を訪れ、湖畔近くの土地を買って最初は自分と母親・姉妹が住むための別荘を建てました。

しかし、年老いた母親が遠く離れたダルメリーの教会まで馬車に乗っていくのに骨が折れるのをみて、近くに教会をたてることを決意したのです。

ダグラスは、オー湖北岸の急斜面を建設地に選び「St Conan'sKirk」が誕生することになりました。

 

最初は1881年1886年に十字型の小さな教会を建てました。

今の教会堂の中央部分と聖歌隊の席あたりだけの広さのものでした。

しかし、ウォーター・ダグラスは壮大な設計計画を立てており、1907年からはもっと大きくて、崇高で凝ったデザインの教会建築にとりかかりました。

彼は、古い教会堂の建築廃材や骨とう品を組み合わせて独特のデザインの教会堂を時間をかけて作り上げていきました。

また、スコットランドの勇者「ロバート・ブルース」の納骨堂も作りました。

1914年にダグラスが亡くなった後も、姉のヘレンがその意思を継いで建築を続け、1930年にヘレンが亡くなった後は奉献されて現在に至るようです。

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なぜ建設に50年近くもかかったのかというと、当初はオー湖周辺に労働者が住んでいないために遠くから連れてこなくてはいけなかったことや、建現場に建築資材となる巨石が十分にないので湖畔の丘の中腹から運んでこなくてはいけなかったこと、第一次世界大戦の間建築が中断したこと、そしてまたウォーター・ダグラス自身が建築物のデザインのみならず彫刻作成も手掛けていたからだったようです。

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この壁に備え付けられた彫刻は、イオリナ修道院から持ってきたものだそうです。

ダグラスは好みの古い教会の廃材物を収集しそれを組み合わせて造っていったので、

ノルマン風とローマン風のデザインが混在し、さらにダグラス自身のデザインした独特な彫刻や板金がミックスされて、結果的にそれらがうまく融合し壮大で、美しく、少し奇妙で一風変わった、他にない空間が造り出されていったようです。

このような建築物は他に見られず、実に貴重なイギリスの文化遺産なのだそうです。

 

教会の中庭を囲んだ回廊と礼拝堂の梁は、2隻の古い戦艦(Caledonia号とDuke of Wellington号)を壊した廃材が用いて作られています。

 

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このチャペルは、オークの重厚感ある木材の天井とローマの宮殿を思わせるような柱が実にマッチしており、背の高いステンドグラスの窓から入る柔らかな光が並外れた素晴らしい空間を生み出しています。
チャペルには、スコットランドの勇者「ロバート・ブルース」の棺が置かれています。

この棺の中には、ダン・ファームリン大聖堂に納骨されている勇者ブルースの骨の一部が入っているそうです。

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勇者「ロバート・ブルース」の等身大の木彫りの像は、顔と手だけが大理石でできており、ステンドグラスを通したやわらかい光が当たるとまるで生きているかのよう・・・
この大理石は「雪化石膏」というもので、古代エジプトなどで彫刻によく使われたもので、ここにもダグラスのこだわりを感じます。

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 ウォーター・ダグラス自身が自分で彫刻したという、パイプオルガンのパネルも実に美しく、ダグラスの並外れた才能を感じさせます。

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 姉のヘレンさんが自らデザインし、書いたというステンドグラスの天使の絵・・・

何とも優しく、心が癒されますよね(^^)

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こうして改めてみると、ウォーター・ダグラス家の世界観のすばらしさや会堂建築にかける熱い思いが強く伝わってきます。

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尖塔もいろいろな様式がごちゃ混ぜに配置されており、注意深く観察するとそこにもダグラスのユニークなセンスがうかがえます。

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さりげなく、フクロウがデザインされています(^^)

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雨樋のドレイン部分に、このようなユーモラスな板金デザインが施されています。

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このウサギさん、なんだか、つい微笑んでしまいますよね!!

 

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これはウォーター・ダグラスのお母さんのメモリアルタワーです。

教会より少し高いところの庭に建てられています。

お母さんをよほど愛していたのでしょうね・・・

 

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テラスから望むオー湖の美しい景色には、本当にうっとりします・・・

是非また機会があれば、もう一度この教会堂に訪れてみたいなと思います。

 

・・・というわけで、

今回も、またもやオーバンまでたどり着けませんでした (;^ω^)

次回はいよいよ「オーバンの港町」について書きたいと思います!!

 

 今日もお付き合いありがとうございましたm(__)m

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1月末は、インフルエンザで 寝込みました・・・

みなさんも、どうぞお大事にお過ごしくださいませ!!

(^_-)-☆

ハイランド地方への旅 その2

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前回に引き続き、ハイランド地方の旅の思い出を書きたいと思います(^^♪

今回はオーバンという漁港にたどりつくまで書きたいです。

グレンコーの峡谷まで、まだまだ先は長いよ~~~(;^ω^)

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グラスゴーを出発してLussの湖畔で休憩した後、Loch Lomond湖畔に沿って北に進み、今度は美しい景色の山間部を抜けていきます。

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「Rest and be thankful」という場所で少し休憩です。

この道は18世紀に作られた古い軍用道路です。

兵士たちは、ハイランドの奥地から戦いの為にこの道を行進していったようです。

この道を通る兵士や旅人は、この場所で一休みしたようです。

今は使われていない道ですが、その歴史をねぎらってつけられた名前のようです。

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ここでは写真を撮る程度でしたが、胸いっぱい深呼吸するとハイランドの山の空気が体全体を清めてくれたように感じました。

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名も知れぬ小さな純白の花にも、心が洗われるように感じました。

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再び車に乗車し、さらに次の目的地インバレリーへと旅が続きます。

運転手のガイドを聴きながら眺める車窓の景色はナチュラルそのもので、あちこち流れる小川に郷愁をそそられました。

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最近の日本の小川は護岸工事が行き届いてており、こんな風に自然のままの手付かずな小川にはまずお目にかかりません。

この小川には、どんな生き物がいるのかなぁ・・・

ここで車を止めてくれるといいのになぁ・・・

自然が好きな私は、ハイランドの雄大な車窓の風景を何時間見ていても飽きません(^^♪

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山間を抜けると、再び湖が開けて・・・

ん~~~、湖にしてはなんだか藻の様子が違うな ~(。´・ω・)?

なんだか海藻に見えるけど?

そう思っているうちに、インバラリーの町が見えてきました(^^)

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そうです、これは湖ではなく海から深く入り込んでいる入江なのです。

ハイランドには「湖」と「入江」が複雑に点在しており、それがまた美しい景色を織りなしていました。

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この美しいフォルムの石橋を通って、インバレリーへ到着しました。

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この奥の駐車場で降ろされ、車と運転手は姿を消しました。

ここでは「インバレリー城の見学」が予定されていましたが、

一緒に乗っていた観光客は車をおりると蜘蛛の子を散らすようにいなくなりました。

私は一人取り残され、どちらへ行けばインバレリー城に行けるのかしら…と思案しました。

携帯の調子が悪く、WiFiが全くつながらないので感にたよるしかありません(*_*;

そうだ、こういう時はインフォメーションセンターへ!!

と向かいましたが、途中の景色があまりに素敵で・・・

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こんな銅像に足を止めたり・・・

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海藻であることを再度確認したり、、、

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公園にあるインフォメーションを読んでみたり・・・

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そんなこんなで、どんどん時間が過ぎていき・・・

インフォメーションの場所を探し当てたころには、すでに休憩時間の半分が過ぎていました(*_*;

やってしまいましたぁ~~~(ノД`)・゜・。

ここが英語ドライバーの旅の泣き所です(T_T)

適当に英語を聞き流していると、肝心な場所を観光できずに終わるパターン。

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おそらくこの看板に従えば行けたかと思うのですが、

既に休憩時間はあと10分ほどですから、あきらめることにしました(;^ω^)

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インバレリー城は、さぞかし美しい城だったんだろ~な~

でものんびりできたから、ま、いっか~」精神は一人旅には大切です!!

そして再び車に乗り込み、北へと向かいます。

かなり細い道をくねくねと進んでいくと、Rabbie'sの車が渋滞している道端が・・・

どうやらそこで、再び休憩をとるようです。

 

そこは湖のほとりで、この風景だけでもとても素晴らしいのですが、

湖の向こう側にもっと素晴らしいものが見えました(@_@)

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それは、Awe湖に浮かぶ「キルカーン古城」(Kilchurn Castle)です。

湖に浮かぶ島の上に、ぽつんと建てられている城の姿を眺めていると、

まるでおとぎ話の世界にいるような気分です。

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このキルカーン古城は廃墟ですが、その荘厳さは訪れた者の心を強くひきつけます。

はるか昔の風景そのものがそこに存在しており、なぜか静粛な気持ちにさせられます。

この城はかつて、Breadalbaneのキャンベル家の居城だったそうです。

こんなところに住んでたなんて、一体どんな生活だったのでしょうか?!

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人間って、強いんだな~~~(@_@)

と、純粋に驚き感動しました!!

 

さらにまだまだ旅は続きます・・・

今回のブログでは、まだオーバンにたどり着きませんでした(;^ω^)

また次回、続きを書きたいと思いま~す(^^)/

 本日も、お付き合いどうもありがとうございましたm(__)m

 

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お城のお掃除は広くて大変・・・亀の手も借りたい?!(笑)

ハイランド地方への旅 その1

イギリスのフィリップ国王様は97歳で、現在も運転をなされているようです!!

最近国王様が交通事故を起こされたようで、高齢者の運転免許についてはイギリスでも大問題となっているようです(;^ω^)

それにしても、イギリスのロイヤルファミリーはすごいですね~

日本の天皇陛下がご自分で運転なんて、考えられないですよね~

エリザベス女王様も93歳とご高齢ですが、運転されているとかいないとか・・・

とにかくイギリス国王ご夫婦はお元気な様子で何よりです!!(^^) 

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さて今日は、昨年の夏に「rabbie'sツアーで行った、ハイランドツアー」について書きたいと思います。

このツアーは、ベルトラ(VELTRA)のサイトで予約しました。

ハイランドとは、スコットランドの北部地方のことです。

ベルトラでのハイランドツアーは、ネス湖やウィスキーの醸造所スペイサイドを訪れるもの、スカイ島にまで行って1泊~2泊するものなどがありました。

スカイ島まで行くと料金が高かったのと日程オーバーなので、ちょっと大変でも日帰りツアーで行くことにしました。

私はとにかく「グレンコーの渓谷」と「ムーアの大地」が見たかったので、

「港町オーバンとグレンコー・ハイランド西部地方1日観光ツアー」にしました。

グラスゴーを朝8時に出発し、戻ってくるのが夜の7時ですから12時間近くの長旅です。

英語ドライバーのツアーですが、金額が8,000円程度でしたので安いなと思い選びました。

港町の新鮮な魚が美味しいとのことで、食いしん坊の私にはそれも魅力でした。

 

セントアンドリュースからバスでグラスゴーへ移動した翌日がこのツアーでした。

 セントアンドリュースからグラスゴーへバスの旅 - イギリスのゴルフ場と観光の魅力

夕方にホテルに着いてから、その日のうちにツアーの集合場所を確認しておかなくてはなりません。

携帯の充電が切れていたので、自力で探さなくてはなりませんが、

集合場所はジョージ・スクエアのすぐそばの「PARISH HALLE」だとのことで、

「ホールならすぐに見つかるだろう・・・」と甘く考えていました。

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まず、グラスゴーの街のインフォメーションセンターに行き、そこで集合場所の名前を言ってどこにあるか聞いてみました。

しかし誰も「わからない」との返答で、ちょっと焦りました(*_*;

ならばと思い、ジョージスクエアの周りのコンビニで聞いてみましたが駄目でした。

こ、こ、これはどうすれば良いのかしら・・・(;^ω^)

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 ぶらぶら夕方の町を歩きながら2時間ほど探しましたが「PARISH HALLE」はさっぱり見つかりません。

疲れ果ててホテルに戻り、だめもとでフロントで尋ねたら、

「ホテルの入り口を出て左に曲がって1分のところにあるわよ(^_-)-☆」とのこと!!

その足で確かめに行ってみると、ほんとに「PARISH HALLE」と書かれた看板がありました\(^o^)/

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でも、ホールというイメージではないし、店でもなんでもない場所・・・(T_T)

翌朝、なぜそこに集合なのか理由が分かりました。

この場所はジョージ・スクエアの市庁舎向いの大通りに面してますが、

そのあたりにはお店が全くなく、事前に申し込みを受けた観光客をピックアップするのには最適な場所でした。

どおりで、地元の人は知らないわけです( *´艸`)

「今度からわからない場所を探すときは、初めにホテルのフロントで尋ねよう!!」

と、思いました(^◇^)

 

翌朝集合時間に行ってみると、16人乗りの中型車が次々とやってきて、

予約の観光客を確認し、乗せては出発していきます。

自分のツアーの車が来るのまでに、何台もの車を見送りました。

ちょっと焦っている様子が伝わったのか、中国人の男性が心配して私の予約表をのぞき込み、まだ順番が来ていないことを教えてくれました。

旅先で、こんなふうな他国民のやさしさに触れると、世界は住みやすく感じます(#^^#)

 

 やっと自分の番が来ましたが、やれやれ・・・どうやら日本人は一人も見かけません。

何はともあれ、車に乗り込み無事に出発できました。

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 しばらくするとグラスゴーの街から抜け、あたりは牧歌的風景が続きます。

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車種はベンツで、革張りシートの座り心地は抜群!!

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天井にはセリング・ウィンドーがついており、お天気がよいのでさわやかな風が入ってきます。

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無事にハイランドツアーの旅に出かけられホッとしたせいか、

旅の疲れが出たせいか・・・なんだかウトウトしてしまい・・・

気がついたら最初の休憩地についていました。

 

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ここはLussという国定公園で、湖から山まで散歩やサイクリング・登山ができるようです。

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ビジター・センターでは、かわいらしいいカモ達がお出迎えしてくれました♡

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お店は駐車場の端に少しある程度で、なんだかの~んびりした雰囲気(*^-^*)

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20分ほどの休憩なので、私は湖のほとりを散策してみました。

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とにかく湖の水が透き通っていて美しかったです。

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透明すぎて、鴨の足が丸見え!!( *´艸`)

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時間があれば、こんな船にも乗ってみたかったです。

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 集合時間より少し早めに駐車場にもどり、運転手の方のお写真を撮らせてもらいました。

なんて素敵な青年ドライバー(^^♪

今日一日この青年の運転とお話に身をゆだねる事ができるなんて!!!

この上なく幸せなハイランドツアーとなる予感がしました\(^o^)/

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 さてさてまだツアーはこれからで、ここから先が長いです。

次回もハイランドツアーのブログを書きたいと思いますので、

どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします(^_-)-☆

 

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 本当に、大型ベンツ車は乗り心地が良かったです・・・(^^)

イギリスの標識や看板の文字は読みやすい!!

年末年始はクリスマスカードや年賀状と、文字を書く機会が多かったですね。

ひと段落しましたので、今日は届いたはがきやカードを整理しました。

その中に、ロンドンの友人から送られてきたクリスマスカードの手書きの英文字を見て、

「この文字、さっぱり読めないな~」と・・・(;^ω^)

そこで今日は、イギリスの看板や手書き文字のことについて感じたことを書きます。

 

私が子供の頃、ローマ字を最初に習う時に「筆記体」を習いました。

筆記体は、大文字と小文字の形が違っていて難しく感じたのを覚えています。

そして英語の授業では、これを繋げて書かなくてはいけないので大変でしたよね(;^ω^)

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現在の日本の看板には、いろんな書体の英文字が使われていますが、

イギリスの看板の文字は、ほとんどシンプルな形の文字で書かれています。

これはブロック体という文字だそうで、読みやすさが優先されているようです。

公共機関の案内や、道や町の名前などはすべてこの文字でした。

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 どこに行っても、シンプルな看板で探しやすいです。

その分街並みがすっきりして、文字が小さくても目立つように思います。

 

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レジャー用看板もブロック体で読みやすい・・・

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現代のイギリスの学校では、ブロック体の文字のみが教えられているそうです。

そんなわけで、イギリスではペンで書く美しい筆記体は死滅しかけているとか・・・

イギリス人の手書き文字は「ブロック体」を自分流に崩した「くせ字」なので、

筆記体だと思って読むととても判読しずらいです。

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私は「カリグラフィー」というペンでかく西洋書道を習っているので、

イギリス旅行に行った時は、どんな字体でかかれているかについ注意がむいてしまうのですが、

日本で見るような流れるような英文字の看板は、ほとんど見かけませんでした。

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これなんかは筆記体に近いですが、かなり読みやすくしてある感じです。

下のものは有名ゴルフ場の看板ですが、この字体もよく使われています。

やはり、一文字一文字が分かりやすいですよね。

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ブロック体が主体なのは、ヨーロッパのような多民族の国では便利だと思います。

人種の違う国民が入り混じる国では、とにかく読めることが一番最優先。

一方、日本の看板は目立つことが優先(;^ω^)

 

今日は娘の誕生日カードを「カッパープレート」という字体で書いてみました(^^)

この文字はかつて、本を銅板印刷で出版されていた頃の英語の字体です。

一世を風靡したこの美しい字体は、日本でいえば今では書道のようなものです。

現代の出版物には残念ながらパソコンに向かないので使用されなくなりました。

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この文字をまねて、日本の「ローマ字学習用筆記体」が作られ、

おかげで日本の小学生はローマ字練習で苦労する羽目になり・・・

でも、イギリスではこれを書ける若者はいなくなっているなんて。

日本の義務教育はなんだか時代遅れになってます!!(-"-)

 

また、日本の看板にいろいろな文字があふれているのは、

単一民族国家であるがための気のゆるみ現象かも?と思います(^◇^)

 

グレンコーの谷に思うこと

新年あけまして、おめでとうございます!!

そして、このブログにお越しくださりありがとうございます。

今年も引き続き、これまでのイギリス旅行の記録を書いていきたいと思います。

どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いいたしますm(__)m

 

昨年、スコットランドの北の地方を訪れました。

スコットランド北部地方はハイランドと呼ばれていています。
ハイランドには雄大な自然が残されていて、素晴らしい景色がたくさんあります。

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この写真は「グレンコーの谷」というところです。

グラスゴーからミニバスツアーに参加して行ってきました。

なんと車で5時間程度かかり、やっとのことで着きました(*_*;

 

この道は、300年以上前に作られた石畳の小道です。

大きく引き伸ばしてもやっと人が見えるくらいの広大な風景です。

どこまでも続くこの道を、その当時の人は当然ながら歩いて移動していました。

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この道を村の人々も利用していたでしょうが、

主な目的は、当時の兵隊が効率よく移動するために作られたようです。

私がグレンコー峡谷に訪れてみたかった理由は、

スコットランドの北の果ての峡谷で起こったある出来事に興味を持ったためです。

グレンコーの虐殺(ぐれんこーのぎゃくさつ、The Massacre of Glencoe)は1692年、イングランド政府内強硬派およびスコットランド内の親英勢力の手によって、グレンコー村(スコットランド)で起きた虐殺事件である。規模は歴史上の虐殺事件に比して小さいものであったが、罪なき村民が背信行為によって殺された手法と経緯に、国内外から批判が集まった。これによって名誉革命体制は打撃を受け、イングランドスコットランド関係が険悪になる原因を作った。グレンコーはスコットランド・ハイランド南西部の谷である。 (ウィキペディアより引用)

より詳しいことは、是非調べてみていただきたいと思います。

 

イギリスは日本と同じ島国で、ユーラシア大陸を挟んで東西に位置します。

同じ程度の大きさの島なのに、その歴史は大きく違います。

イギリスはその昔から何度もヨーロッパの多民族による侵略が繰り返されました。

日本は、幸いにも多民族による侵略を受けずに独自の文化を育んできた歴史があります。

第二次世界大戦後は、アメリカナイズされて高度経済成長を果たしました。

しかし、明治維新の時はイギリスに多くを学んで政府や大学を作りました。

日本の文化や哲学にはイギリスやスコットランドに大きな影響を受けているのですが、今の日本はそれを忘れてしまっているかのように見えます。

 

ネットもなく車もない時代に起きたこの戦いは、今の時代では起きないのでしょうか?

何時間も車に揺られてこの谷に到着した私は、

「こんな北の最果てでも、人間は戦争や虐殺をしていたのか・・・」

という人間の権力闘争や、背信という心の闇の深さに驚かされました。

 

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今ではグレンコーの渓谷は「The National Trust 」として保存されています。

大いなる自然の静けさの中にたくさんの観光客を迎え入れて、

人々に癒しの時を与えているようです。

私はグレンコーの峡谷を訪れることで、少し平和への希望を感じました(^^)

 

英国は今年4月にいよいよブレグシット(ユーロ離脱)を迎えます。

イングランドスコットランドアイルランドの未来はどうなるのでしょうか…

世界の状況は不安なことがたくさんありますが、


これまでの戦争の歴史に学び、世界に本当の平和が訪れますように・・・

2019年の初めにあたり、心から願います。

 

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レデース・ゴルフのはじまり その3

とうとう、2018年も大晦日となりました(;^ω^)

師走に入り、バタバタしていてブログが書けずに今日を迎え・・・

今日は何としても書かなくては~~~( ̄▽ ̄;)と朝から気持ちばかり焦り・・・

しかし「History of Golf」の本を開けては英訳につまづき、あとであとでと夜を迎え・・・

なんとかやっとのことで少し訳すことができましたので、

このブログにお越し頂いた皆さま、2018年最後のお付き合いを願います !!

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この女性は女子ゴルフ競技の歴史上初のヒロイン『レディー・マーガレット・スコット』(Lady Margaret Scott)です。

 1893年4月にセントアンドリュースでレディース・ゴルフ・ユニオン(LGU)が結成された後すぐに、

歴史上初の女子アマチュア全英オープンBritish Ladies Amateur Golf Championship)が開催されました。

イングランドアイルランド、フランスから38名の選手が集まりセントアンドリュースで18ホールマッチプレーが行われ、18歳のレディー・マーガレット・スコットが最初の優勝者となりました。

しかも、彼女はその後3年連続優勝しました。

彼女は強いだけでなく、上品でおしとやかでそのうえかなりの美人だったようです。

う~ん、確かに美女、ゴルフ女子としては、かなり嫉妬してしまいますねぇ~(;'∀')

レディー・マーガレット・スコットは英国社交界の大スターとなり、そのおかげで女性の間でのゴルフ熱はどんどん高まっていったようです。

 

ゴルフ競技には、勝つ者の裏で負けて悔しい思いをする選手が必ずいます(T_T)

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この写真のイセッテ・ペアソン(Issete Peason)はレディース・ゴルフ・ユニオン(LGU)の名誉秘書で素晴らしいゴルファーでした。

しかし、女子アマチュア全英オープン第1回・第2回共にレディー・マーガレットとの激しい戦いの末に敗れてしまいました(ノД`)・゜・。

 

その頃、アメリカでも女子のゴルフ競技が盛んになり、1895年には最初のUS女子アマチュア選手権がニューヨークのMewadow Brook Clubで開催されました。

 

その後、さらにアレックス・ステアリング、ドロシー・キャンベル、カーティス姉妹 、グラディズ・テンプル・ドベルといった素晴らしいレディースゴルファーが誕生していきました。

そんな中でも、女子ゴルフの大衆流行に一役かったのは、イギリス人のジョイス・ウェザード、セシール・レイチスと アメリカ人のベーブ・ザハリアス、グレンナ・コレット の4人の選手でした。

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以来、今年の2018年の大会まで125年間戦争中を除く)ものあいだ、

女子アマチュア全英オープンBritish Ladies Amateur Golf Championship)は継続して開催されてきました!!

めでたしめでたし・・・ということで、

今年の「History of Golf」の英訳はここまでで終えることにします(*_*;

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この写真は、スコットランドのターンベリー・ゴルフ・クラブのギャラリーで見かけたものです。

ガラス越しに撮った写真なので照明や自分の影が怪しく映りこんでいますが、

けっして心霊写真ではないのでご安心を~(^◇^)

私はこれを見た瞬間、ものすごい衝撃を受けて釘付けになってしまいました。

長いスカート、ちょうちん袖のブラウス、つばの広いお帽子・・・

おそらくコルセットも付けているでしょうに、この力強いスウィング!!(@_@)

 

きっと、このクラブシャフトは固くヘッドも重いでしょう。

ああ、それなのに、それなのに…

こんなにしなやかなフィニッシュをとれるなんて、凄すぎます!!

これがなんという選手だったのかわからないのですが、
なんだか自分のゴルフが甘ちょろく思えてしかたありませんでした(-"-)

 

今、大晦日にこの写真を改めて見直してみましたが・・・

「やっぱりゴルフって素晴らしい!!」と素直に感じています。

来年から、もっとゴルフを簡単にするようにルール改正が行われます。

しかし、こうしてレディース・ゴルフの歴史を振り返ると、

ゴルフとは、

「年齢・男女を問わず夢中にさせてくれる素晴らしいゲーム」

だと強く感じます。

ハッチンソンの「女子にゴルフの競技は向かない」という予測を外れ、非力な女性でも充分ゴルフ競技を楽しんできました。

レディース・ゴルフの歴史はそのことを伝えてくれているとしみじみ感じます

「ゴルフと出会えた人生は幸せだ」

と感謝しつつ、2019年の新年を迎えたいと思います(^^)/

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レディース・ゴルフの始まり その2

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セント・アンドリュース在住のゴルフヒストリー作家「Roger Mcstravick」が今年の春に出版した「A HISTORY of GOLF」という本があります。

この作家とは、2年前にセントアンドリュースのオールドコースでたまたま一緒の組でゴルフをして知り合い、今年の夏の旅行で再会を果たしました。

その時に、この本をいただきました(^^♪

kameusakiji.hatenablog.com

上の写真は、その本の第7章のページを開いたところです。

「Pioneers of Ladies Golf」と題されています。

ここには女子ゴルフの始まりについて詳しく書かれています。

この章の始まりには、 

女子ゴルフの歴史は、男子ゴルフと同じぐらいだろう

と書かれています。

以下は、ここに書かれているものに私の追加説明を加えたものです。 

 

伝説では、一番初めにゴルフを始めた女性は、16世紀のスコットランド女王「メアリー・スチュワート」(1542~1587)だと伝えられています。

メアリー・スチュワートは生まれてまもなく、スコットランド国王の父・ジェームス5世を亡くしました。

正当な血を引く唯一の世継ぎであったメアリーは、幼少にもかかわらずスコットランド女王となり、イングランドの陰謀で暗殺されるのを逃れるためにフランスで育てられた後、16歳でフランス王太子妃になります。

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多くの人に命を狙われたメアリー女王でしたが、才色兼備、スポーツ万能の才能を生かして様々な困難を切り抜けフランスで生き延びていきました。

しかし、18歳のときにフランスの王であった夫が亡くなったため、スコットランドに帰国することを余儀なくされました。

スコットランドに帰国後、メアリー女王は城中に出入りする商人から当時市民の間で流行っていたゴルフを勧められすっかりゴルフにハマってしまったのです。

25歳のメアリー女王が「マッセルバラ・ゴルフ・リンクス」に訪れたとの記録が残されています。

マッセルバラ・リンクスでヒッコリーゴルフしましょう!! - イギリスのゴルフ場と観光の魅力

メアリー女王の2番目の夫「ダンリー卿」が殺されて法廷裁判があった後も、まもなく彼女はゴルフをしていたとの記録があるようです。

「メアリー女王はよほどのゴルフ好きであった」ともとれますが、人々の間でゴルフをすることがそれほど悪いことだと思われていなかったとも推察されます。

歴史的にも、ジェームス2世の時代に家臣がゴルフに明け暮れて仕事をあまりにさぼるので、1452年に「ゴルフ禁止令」が布かれたそうです。

この禁止令は次の王ジェームズ3世にも(1471年)、その次の王であるジェームズ4世にも(1491年)追認されたのですが、ジェームズ4世は後に自らがゴルフにはまり、1502年に禁止令を解除してしまいました。

ですので、ジェームス5世の娘であるメアリー女王の時代のスコットランドでは再びゴルフが盛んであったようです。

イギリス女王の企みで45歳で断頭台立に立たされその生涯を閉じるまで、メアリー女王はゴルフを好み、そのゴルフの腕はかなりの定評があったようです。

 

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次は、女子ゴルフトーナメントの最も古い記録す。

1810年に女子の最初のゴルフコンペ「マッセルバラ・ゴルフ・リンクス」で開催された記録があるようです。
「amongst the fisherwomen」とありますので、直訳すると「漁師の奥さん仲間のコンペ」となります(^^)
ゴルフの大流行はスコットランドの海辺の町から始まったようなので、おそらく漁師街に住んでいる女性の間でもゴルフは盛んであったと想像します。

しかしながら、19世紀半ばまでの女子ゴルフトーナメントの記録はこれだけです。

男性支配社会の下では、1800年代は「ゴルフは淑女がすべきスポーツではない」と思われていたようです。

それどころか、

「パターを手にしている女は、いかがわしい女」とレッテルが貼られたとのことです。

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次は、最初の「女子ゴルフ倶楽部」の結成についてです。

1863年にはセントアンドリュースで最初の女子ゴルフ倶楽部「Ladies Putting Culb」が結成されました。

次いで 1893年に同ゴルフ場にて「Ladies Golf Union」(LGU)が結成されました。

しかし、その結成についてはその当時の全英アマチュアゴルフチャンピオンであり、有名なゴルフ評論家のホレス・ハッチンソン(Horace Hutchinson)が次のような評価をしていました(;^ω^)

1.女子はささいな事で喧嘩になり、ゴルフ倶楽部を継続して団結していくことはできないだろう。

2.グリーンにかつらをばら撒かれたら泣いてしまうだろうから、女子の名誉をかけたチャンピオンシップはできないだろう。

3.精神的な面でも体格の面でも女子はゴルフは向いていないので、最初のチャンピオンシップが最後となるであろう。

これは、ずいぶんな言われようですね~"(-""-)"

 しかしこのハッチンソンの憶測は間違いであったことが、その後多くのヒロインが誕生したことと、今日までの女子プロゴルファーの活躍で証明されていきました。

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中世の時代から、ゴルフは女子でも楽しめる遊びだったに違いありません。

最初の女子ゴルフ倶楽部がセントアンドリュースで結成された時の名前が「Ladies Putting Club」とのことなので、女子の場合は最初はパターゲームだけだったのかもしれません。

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この写真はゴルフの起源説の一つと言われる中国の「すいがん」の絵巻です。
これはどう見ても女子ですよね?!!!


次回は、女子のプロゴルファー活躍の始まりについて書きたいと思います(^^)/

 

 

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 「セントアンドリュース・ボタニックガーデン」では、毎年クリスマスシーズンに「もみの木」が販売されているようです。
メールで参加することができる抽選があり、毎週末に当選者には「もみの木」がプレゼントされるそうです(^^)
近所なら抽選に応募するんですが、、、残念です。

 

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