イギリスのゴルフ場と観光の魅力

ゴルフ好き・旅好きのイギリス旅行記録

レディース・ゴルフの始まり その2

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セント・アンドリュース在住のゴルフヒストリー作家「Roger Mcstravick」が今年の春に出版した「A HISTORY of GOLF」という本があります。

この作家とは、2年前にセントアンドリュースのオールドコースでたまたま一緒の組でゴルフをして知り合い、今年の夏の旅行で再会を果たしました。

その時に、この本をいただきました(^^♪

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上の写真は、その本の第7章のページを開いたところです。

「Pioneers of Ladies Golf」と題されています。

ここには女子ゴルフの始まりについて詳しく書かれています。

この章の始まりには、 

女子ゴルフの歴史は、男子ゴルフと同じぐらいだろう

と書かれています。

以下は、ここに書かれているものに私の追加説明を加えたものです。 

 

伝説では、一番初めにゴルフを始めた女性は、16世紀のスコットランド女王「メアリー・スチュワート」(1542~1587)だと伝えられています。

メアリー・スチュワートは生まれてまもなく、スコットランド国王の父・ジェームス5世を亡くしました。

正当な血を引く唯一の世継ぎであったメアリーは、幼少にもかかわらずスコットランド女王となり、イングランドの陰謀で暗殺されるのを逃れるためにフランスで育てられた後、16歳でフランス王太子妃になります。

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多くの人に命を狙われたメアリー女王でしたが、才色兼備、スポーツ万能の才能を生かして様々な困難を切り抜けフランスで生き延びていきました。

しかし、18歳のときにフランスの王であった夫が亡くなったため、スコットランドに帰国することを余儀なくされました。

スコットランドに帰国後、メアリー女王は城中に出入りする商人から当時市民の間で流行っていたゴルフを勧められすっかりゴルフにハマってしまったのです。

25歳のメアリー女王が「マッセルバラ・ゴルフ・リンクス」に訪れたとの記録が残されています。

マッセルバラ・リンクスでヒッコリーゴルフしましょう!! - イギリスのゴルフ場と観光の魅力

メアリー女王の2番目の夫「ダンリー卿」が殺されて法廷裁判があった後も、まもなく彼女はゴルフをしていたとの記録があるようです。

「メアリー女王はよほどのゴルフ好きであった」ともとれますが、人々の間でゴルフをすることがそれほど悪いことだと思われていなかったとも推察されます。

歴史的にも、ジェームス2世の時代に家臣がゴルフに明け暮れて仕事をあまりにさぼるので、1452年に「ゴルフ禁止令」が布かれたそうです。

この禁止令は次の王ジェームズ3世にも(1471年)、その次の王であるジェームズ4世にも(1491年)追認されたのですが、ジェームズ4世は後に自らがゴルフにはまり、1502年に禁止令を解除してしまいました。

ですので、ジェームス5世の娘であるメアリー女王の時代のスコットランドでは再びゴルフが盛んであったようです。

イギリス女王の企みで45歳で断頭台立に立たされその生涯を閉じるまで、メアリー女王はゴルフを好み、そのゴルフの腕はかなりの定評があったようです。

 

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次は、女子ゴルフトーナメントの最も古い記録す。

1810年に女子の最初のゴルフコンペ「マッセルバラ・ゴルフ・リンクス」で開催された記録があるようです。
「amongst the fisherwomen」とありますので、直訳すると「漁師の奥さん仲間のコンペ」となります(^^)
ゴルフの大流行はスコットランドの海辺の町から始まったようなので、おそらく漁師街に住んでいる女性の間でもゴルフは盛んであったと想像します。

しかしながら、19世紀半ばまでの女子ゴルフトーナメントの記録はこれだけです。

男性支配社会の下では、1800年代は「ゴルフは淑女がすべきスポーツではない」と思われていたようです。

それどころか、

「パターを手にしている女は、いかがわしい女」とレッテルが貼られたとのことです。

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次は、最初の「女子ゴルフ倶楽部」の結成についてです。

1863年にはセントアンドリュースで最初の女子ゴルフ倶楽部「Ladies Putting Culb」が結成されました。

次いで 1893年に同ゴルフ場にて「Ladies Golf Union」(LGU)が結成されました。

しかし、その結成についてはその当時の全英アマチュアゴルフチャンピオンであり、有名なゴルフ評論家のホレス・ハッチンソン(Horace Hutchinson)が次のような評価をしていました(;^ω^)

1.女子はささいな事で喧嘩になり、ゴルフ倶楽部を継続して団結していくことはできないだろう。

2.グリーンにかつらをばら撒かれたら泣いてしまうだろうから、女子の名誉をかけたチャンピオンシップはできないだろう。

3.精神的な面でも体格の面でも女子はゴルフは向いていないので、最初のチャンピオンシップが最後となるであろう。

これは、ずいぶんな言われようですね~"(-""-)"

 しかしこのハッチンソンの憶測は間違いであったことが、その後多くのヒロインが誕生したことと、今日までの女子プロゴルファーの活躍で証明されていきました。

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中世の時代から、ゴルフは女子でも楽しめる遊びだったに違いありません。

最初の女子ゴルフ倶楽部がセントアンドリュースで結成された時の名前が「Ladies Putting Club」とのことなので、女子の場合は最初はパターゲームだけだったのかもしれません。

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この写真はゴルフの起源説の一つと言われる中国の「すいがん」の絵巻です。
これはどう見ても女子ですよね?!!!


次回は、女子のプロゴルファー活躍の始まりについて書きたいと思います(^^)/

 

 

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 「セントアンドリュース・ボタニックガーデン」では、毎年クリスマスシーズンに「もみの木」が販売されているようです。
メールで参加することができる抽選があり、毎週末に当選者には「もみの木」がプレゼントされるそうです(^^)
近所なら抽選に応募するんですが、、、残念です。

 

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